どうも、幸せ天使です。
今日も、ダライ・ラマ14世の「智慧の眼」という著書から、取り入
れようと思う仏教の教えについて書きます。海外の成功法則や願望実
現法では多くがキリスト教の影響をうけていますし、強く信仰してい
なくても、宗教のエッセンス(真理)だけを利用してしまうというのは
有効なことだと思います。
さて、仏教では煩悩(心の汚れ)を無くすことが大切だとよく言われま
すが、その煩悩にはどういったものがあるのかということについて述
べられていました。煩悩と呼ばれるものは3つほどあるようでして、
簡単に書くと
1.(真理に対して)疑いの心を持つこと
2.極端な見解に対して執着すること
3.自分の見解だけが正しいと思うことだそうです。特に2.に関しては気になる記述がありました。
仏教ではいわゆる中道の実践ということが言われていまして、2つの
極端な見解に対して執着することは心の汚れ(煩悩)であると言われ
ます。
2つの極端な見解とは、
「感覚的な快楽にしたがうこと」
「自己浄化をうるために身体的な苦行を実践すること」です。仏教の教えでは、多くのお金を得ることはよくないことで、豊か
な暮らしするのは善くないと言われているように思っていたのですが、
それは上の1つ目の極端な見解に当てはまるからではないでしょうか。
しかし、ダライ・ラマはブッダの教えとして、次のようなことを述べて
います。
清らかな徳性をもち執着のない人々、さらに自分の慰めのため
に敬意と財との両方をえようとつとめることなく、そのような
ものへの自分自身の執着を抑えることのできる人々、これらの
人々にたいしては、ブッダは美食などをとることを許した自分の慰めの為に敬意や財を得ようとすることとは、コンプレックスを
解消するために、「見返してやる」というような感じで富や名声を得よ
うとすることではないかと思います。コンプレックスはすごいエネルギ
ーを持っていますので、一時的に成功することができますが、そのまま
突っ走ると思わぬ落とし穴にはまる場合が多いというのは、仏教的な観
点からも理解できますね。
まずは自己重要感をしっかりと満たして、極端な執着を自制し抑えてい
れば、豊かになることは決して煩悩(心の汚れ)とはならないのですね。これは、瞑想やイメージングなどで、既に願望が実現したものと
して信じられるようになると、余計な執着や焦りが減って実現しやす
くなるということに通じるのではないでしょうか。
次に取り入れようと思った考え(実践)は、さとりへの道を目指す者が
人々に行うことで特性を獲得できるという、四摂事(ししょうじ)とい
うものです。その内容とは、
あたえること(布施摂)
やさしいことばをかけること(愛語摂)
利益を与えること(利行摂)
同じ目的をもつこと(同事摂)さとりというのはひとまず置いておくとしても、これらを人に対して意
識的に行うようにつとめることは、すごく大事なことだと思います。
四摂事の実践はタイの仏教でも真の仏教徒の特性として認識されている
そうです。
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